2008年4月 9日 (水)

ウイーン国立歌劇場 イオアン・ホーレンダー総監督来日記念ワークショップ

8日の朝、熱っぽいし、天気も悪そうで、ゴーゴー言っているし、午前中は休みにしてしまおうかとベッドにいる時に、ウイーンフィルなどのマネージメントをしているProf.ブックマンさんから電話がありました。そう言えば、日本に来るので、ミーティングをとメールをもらっていました。

「今晩、7:00からウイーン国立歌劇場の総監督、イオアン・ホレンダーさんのワークショップが浜離宮ホールであるので、来ないか。」とのお誘い。ちょっと億劫だったのですが、一応、行くことになってしまいました。

詳細もよく知らずに、悪天候の中、浜離宮ホールへ行きました。

ワークショップというよりも講演会のような感じで、主催が財団法人 ジェスク音楽文化振興会、協力:朝日新聞、昭和音楽大学舞台芸術センターオペラ研究所、東京のオペラのもり実行委員会となっており、タイトルは「音楽の都ウイーンと国立歌劇場のすべて」。

一部が基調講演、~ウィーン国立歌劇場140年の歴史、2部がウイーン国立歌劇場の今後。モデレーターは音楽評論家の奥田佳道さん。

昭和音大がずっと連続でやっているシンポジウムの流れを汲んだもののようで、なかなか興味深い内容でしたが、客席が多分、半分も埋まっていなかったと思います。入場無料のイベントなのに、ちょっとこれは、あまりにも寂しい感じでした。大変勿体ないことでありますが、わたし自身もブックマンさんから電話がなければ、このようなイベントがあることすら全く知りませんでした。

私が、イベントやコンサートなどを主催したりする場合でも、他の主催者や関係者も同様に苦労しているのが集客です。新聞に告知を掲載してもらったり、雑誌に載せてもらったりしても、その内容に興味のある観客や顧客がどこにいて、どこに情報を流せば届くのかが大変重要な問題です。

自治体など役所関係のイベントでは、広報誌などで案内し、会館にチラシをおくだけの場合も多く、終わってしまってから、「なんだ、そんな良いのやってたんだ。知らなかった。」と言われることもあります。つまり、届けたい方も、知りたい方も、結構マッチングができていないというか、それ相応のメディアもないのではないかと思います。もちろん、ぴあなどそれなりの専門の情報誌もありますが、これに出ているのは、結構お決まりのオーケストラや演奏家やホールがもっているコーナーだったりで。

観客の発掘は、大きな課題です。私のパーティーなどでは、結構10年以上やっている中でお客さんが固定化しているのと、ほとんど、口コミ情報で、多くの方々に来ていただいております。が、この方々にコンサートのご案内をしても、また、コンサートに関心があるのは、その中の20%くらいだったりしますし、講演会に興味がある人は、また、10%だったり。それから、平日の昼間に出かけられる人となるとまた、別のカテゴリーになってきます。結局は、そういう人脈や団体をどれほど取り込めるかということになってくるのかも知れません。企業もマーケテインングにお金をかけて細かなプロフィールごとに潜在的な顧客名簿を作るというのが重要になっています。

さて、セミナーの内容ですが、まず、総監督ホレンダーさんというのが興味深いバックグラウンドの持ち主です。ルーマニア生まれで蒸気機関学を学び、第一次国家試験に合格するも、政治的な理由でルーマニア国内の全ての大学から締め出され、その後、テニス・トレーナーや舞台演出家助手として働きます。その後、ウイーン国立音楽院で声楽を学び、オペラ歌手として数年活動した後、コンサート・エージェンシーに入り、その会社を自分の会社として獲得してから、88年ウイーン国立歌劇場とウイーン・フォルクスオーパーの事務総長に任命され、その後、オペラハウスの総裁となり今日に至るという感じですが、たくさんの名誉職や賞も受賞しています。

140年になる歴史あるウイーン国立歌劇場では、これまで、特にマーラーとカラヤンがこの劇場と音楽に貢献したということでした。今も年間240回のオペラ、50回のバレエを上演し、ほとんど毎日違う演目をやっていても、それほどリハーサルしなくともウイーン・フィルは毎日違うオペラを演奏できるそうです。また、こども向けのオペラもやっており、それは、大人は入れないそうですが、通常は学校の引率による校外学習のようなもので、入場料は3ユーロ。演目は2つで年間20回やっているとのことです。

また、モデレーターの奥田さんが「ホレンダーさんになってから、黒字になっているようです。」という説明の後に、ホレンダーさん本人がおっしゃたことは、「芸術は、質を追求して、お客様に喜んでもらおうとすれば、けっして儲かるものではなく、支出の方がどうしても多くなるもので、お金のかかるもの。」「でも、それが、必要であるという認識が大事」。

また、「文化政策なので、政治の中にも深く関わっている。」「指揮と歌手と演出がピッタリ合った時に素晴らしい傑作ができる」など、面白いコメントもたくさんありました。

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2007年1月26日 (金)

Arts Management - A Creative partnership

南ユタ州立大学パフォーミング&ビジュアル・アーツ学部長、ウイリアム・バーンズ教授の講演会が早稲田大学演劇博物館21世紀COE演劇研究センターの主催で開かれた。

「アメリカでも芸術組織の50%が赤字で赤字から抜け出せないでいる。」という発言はノッケから意外だった。少なくとも米国では、企業や資産家のパトロン、スポンサード、市民の寄付行為などが根付いていると思っていたからだ。著名なオーケストラやバレエ団など潤沢な予算を獲得している組織も多いはずなので、おそらく、中小の数限りない組織、団体が存在しているということなのかもしれない。「そういう組織では、個人のクレジットカードで自転車操業しており、寄付や助成金が得られるまでは、チケット収入に頼ざるを得ない」のだそうだ。(うーん、どこかで聞いたような話だ。)

ある日、劇場に行ってみると、スタッフは、いきなり“解雇”を言い渡されることもあるそうで、「そうならないためには、聴衆、観衆が求める内容の公演をすることが大事なのだ」とおっしゃった。また、企業の助成金や協賛をもらい続けるためには、その企業の求める内容を追求し続けることが大事だ」ともおっしゃった。確かにそうかもしれない。

しかし、一方で、「企業協賛の60%がスポーツイベントに対して」であり、「一度も博物館や美術館に行ったことがない人が米国内に何十万人もいる」状況の中で、アーツが追求できるのだろうか。アーティストをアーティストたらしめているものは、迎合でも商業主義でもなく、各自の自由な活動だと思われる。自分の発信したい思想や感性を誰にも理解してもらえないかもしれないけれども発信したい、それがアーツの源なのではないかとも思う。それがトンチンカンであるものもあるかもしれないが、一般の人の感性よりも、1歩も10歩も先をいくものであることもあり、その時代には、評価されないけれども、後年、その作品や思想、人となりが評価され、共感され、作品が脚光を浴びることがある。画家、音楽家、作家などでも生活に困って人生を終えた人も多いし、そういう人は、かならず、苦難の時代を経験したりしている。

かつて、戦時中、国策や軍部の求めに応じて、国策画を描いた画家や、俳優・歌手が、戦後、糾弾されたり、批判された。それと似て、今は企業やマネーに対してアーツがあまりにも寄り添いすぎていないかという批判もある。同様に、大学や研究の場が、“お金につながる研究”に傾いている傾向もある。それが、現在の世界の価値観であり、社会の成り行きなのかとも思う反面、もちろん、逆のベクトルの考えも無視することはできない。もちろん、アーティストが貧乏でなくてはならないわけでもないし、お金を稼ぐことができないよりはできたほうがいいに決まっている。良いことをするにも、今は何かとお金がかかるのだから。

アーティストがマネーに擦り寄っていくのでなく、アーティストがマネーや人を惹きつけられる魅力や先進性、共感をどのように生み出すかの方に研究の力点がおかれてもいいようにも思うけれど、それを教えてくれるような人も研究も実際にはあまりないようだ。きっと、アートに関わる人は、そっちを求めていることだろう。「オリジナリティーのあるものは売れる。」などと簡単に片付けられているが、当人たちには、そんな簡単なものではないようだし、何が売れるか、当たるかに関する明確はシステムも方法論もない。偶然性と必然性という両方をせめていっても、それをうまく説明、解明するのは、「人間」の研究と同じで、明確な答えなど出るはずがない。それが、まあ、人間のおもしろいところであり、すごいところなんだろうから。まあ、事例研究から、統計的なエッセンスを抽出することで、ある程度の可能性としてのアーツ・マネージメント論を導き出せるのかもしれないが。

おりしも、“総合学習の反動”で、義務教育関係では、教科の指導に躍起になっている。某大学の講師に決まった友人は、「学生の英語学力は中学生並」と採用の際に言われたらしい。

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2007年1月13日 (土)

公開講演会

13日、午後、立教大学で開催された2006年度 第9回公開講演会 「日中関係の危機管理」に参加しました。これは、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科が主催したものです。

講師は、阿南惟茂さん(前中国大使 )で、パネリストとして朱建栄さん(東洋学園大学教授)及び、立教大学大学院21世紀デザイン研究科の先生で秋山昌廣さん(元警察等官僚)です。

こういうときに、いつも【パネラー】と表示されていて、ずっと昔から、同時通訳の村松増美先生が「パネラー」という英語はないので、使うのは間違いと教えていただいていたので、私は、いつもパネリストという言葉を使うようにしていますが、大学でもどこでもパネラーと使っているのは、英語ではなく、別の言語なのでしょうか。それとも、いつの間にか市民権を得て、パネラーが定着してしまっているのでしょうか。ご存知の方はご教示下さい。 

さて、講演内容は、「日中外交における日本側当事者のひとりであった阿南氏から、日中関係における諸問題(歴史問題、靖国参拝問題、中国における教育、抗日デモ、経済関係、政治関係など)について、外交における危機管理の観点から講演をしていただき、その後、コメンテーターからの対論、指摘などの発言をいただく。次いで、講演者及びパネラーによるディスカッションを実施する。」と出ていましたが、当事者は日中関係については、基本的に楽観的姿勢であるようでした。阿南氏は、「僕は中国が長いので、日本のことをよくしらないように、朱先生は、日本が長いので中国をことをよく知らない。」と冗談交じりに日本と中国に関する見解の相違を述べられましたが、基本的にお二人の意見や現状分析にそう違いはないようでした。朱さんが強調されたのは、中国の近代化の課程の問題を中心に話されました。「市場経済の導入による急激な変化の中で、中国が真に法治国家になること、ルールを守りながら近代化を進める。市場経済のメカニズムの中で、教育、社会福祉を高めていく。知る権利、参加する権利もそう。デモはそういう中間知識層の権利意識の表出である。」とこれに対し、阿南氏は、「実際は、そこまで、意識がいっておらず、大概は農民の生活に係る陳情や苦情が大きくなったデモが、一部暴動となったくらいで、あくまで、生活を維持するレベルでの意識。」と発言されました。また、日本の国連常任理事国入りに中国が反対したという件に関し、朱さんは、「中国は反対していない。」とし、そのあたりで、面白い外交交渉の裏話なども多少披露されたように思いました。

会場の参加者も学生と中高年の男性が半々のような感じでした。久しぶりに大学のキャンパスに入りましたが、結構、講演会やイベントなど、1日にいくつも開催されており、人の姿はまばらでしたが、たまに、こういう催しをチェックするのもいいかも知れないと思いました。

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2006年12月12日 (火)

日本プロセス化学会

11日夕方、江戸川区の船堀で「日本プロセス化学会」の学会と懇親会がありました。私は、東京で開かれる時だけ、懇親会にのみ出ることにしています。これは、CSSIの仕事の関係で参加します。この会は研究者や製薬会社、食品などのメーカーやエンジ会社などの主に研究畑の人たちが参加します。ここで、名刺交換をするとほとんどの方が工学博士、農学博士、理学博士です。そういう人にモノを売るので、そういう人がどういう研究をしているか、業界はどうなっているかをある程度把握していなければなりませんので、普段からその分野にもアンテナをはっています。

昨年は、アフリカや中国からの留学生が博士号をとって、そのまま日本の企業の研究所に就職したような方々も参加され、大変国際的は雰囲気でした。

私のこれまでの仕事だけでは、出会わない人に出会い、知らない分野の最先端の情報を学べます。また、日本の産業や経済のことが、立体的につながりが見えたりしますし、大げさに言えば資本主義の何たるかを考えさせられます。

メーカーでも宣伝部は億単位の予算があり、著名なスポーツ選手との契約等に莫大な予算をとりますが、一方、同じ会社の商品を作る大元の研究所では、桁違いに予算がありません。一時期、工場での爆発や事故が続きましたが、メンテ費用もあまりかけられていないように見えました。工場を訪ねるとパイプも器具も建物も結構年季がはいってるような感じでした。さらに言ってしまえば、たたいてたたいた予算で、危ない仕事を下請けの外注にだしたりしています。放射性物質を手で扱ってたようなケースもありましたよね。

工場や研究所では、それこそ、博士号を持つ人たちが朝から晩まで3食とも社員食堂でとりながら、働いています。青色発光ダイオードの訴訟問題もありましたが、研究者たちの待遇は、あまり良いとは言えないようにも思います。また、あるメーカーでは、農学博士が営業をやっているところもあります。

私がショックだったのは、カシオのような会社が、工場は経費がかかるのみで利益が見込めないからと、社員ごとアメリカの企業に売却してしまった時でした。(しかし、逆を言えば、そういう会社を買って、なお利益をだして、さらによそへ売ってしまうようなアメリカ企業の才覚には、驚かされます。)

最近は、少し、景気が上向いてきたようなので、企業も工場やものづくりの現場に設備投資をかけ始めているようにも思いますが、私には良いモノが先にあって、モノが悪ければいくら宣伝しても売れないと思うのですが、どうも大手企業は宣伝にプライオリティーをおいているようにさえ感じることがあります。

これは、消費者ももっと、企業活動をウオッチするべきではないかとさえ思います。人気者がCMにでてさえいれば、消費者はその商品を買うのでしょうか。現在は、そういう消費者が多いから、そういう構図ができているのでしょうね。

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2006年10月 3日 (火)

シンポジウム オペラ劇場運営の現在・オーストリアⅡ オペラをめぐる祝祭、その今日的あり方

「シンポジウム =オペラ劇場運営の現在・オーストリアⅡ= オペラをめぐる祝祭、その今日的あり方 ~ブレゲンツ音楽祭にみる大規模オペラ・フェスティヴァル運営」という長いタイトルのシンポジウムが上野の東京国立博物館・平成館内大講堂で開催された。これは、文部科学省特別補助「オープン・リサーチ・センター整備事業」の一環で昭和音楽大学オペラ研究所が主催している。

いつものように、多少遅れて行ったのだが、上野公園に入ると東京都美術館で「ペルシャ文明展」が最終日と出ていた。(うーん、どうしよう。ちょっとだけ寄ってみよっかな)ということで、美術館に入った。誰とも待ち合わせも約束もしていないので、こういう想定外のことも楽しみだ。

上川隆也が案内役の音声ガイドを借りて、急いで館内を回った。イランも一度は行ってみたい国だ。7000年前にさかのぼるペルシャ文明は、芸術的にも文化的にも非常に豊かであった。特にエジプトから中央アジアまでを支配したアケメネス朝ペルシャの栄華を刻む黄金の杯、リュトン、短剣などまばゆいばかりの輝き。ササン朝ペルシャでは切子ガラスなどシルクロードを伝って日本にも入ってきていたことなどを思うと、遠く見果てぬ悠久の歴史ロマンに心が躍る。当時人々はどんなことを考えていたのだろう。近代になればなるほど、過去のことが解ってくるというのは不思議でもあり、ただひたすら、平和を願う。これらは、本当に世界の遺産であり、世界の宝だ。

急いで回ったつもりだったが、1時間以上が経過していた。大急ぎで外に出ると、信じられないような大雨になっていた。ふと見ると館内レストランでペルシャ文明特別メニューというのが出ていた。モロヘイヤスープ、カバブはじめ魚や野菜のグリルなど。うッおいしそう。食べたい。

受付でレストランのラストオーダーの時間だけ確認しておいた。

しかし、はやり、シンポジウム会場へ行かなくては。少なくとも資料をもらいたい。ドシャブリの中を足早に移動。

素足にサンダルだったが、皮のサンダルはビジョビジョ、足はグジョグジョ、パンツもジャケットも型くずれ状態。やっと、会場に入った。

Ⅰ部のブレゲンツ音楽祭オペラ監督のエヴァ・クライニッツ女史の基調講演は終わって、Ⅱ部のパネル・ディスカッションがはじまったところだった。

オーストリアのブレゲンツ音楽祭では、7月中旬から1ヶ月湖上にステージを作って、連日オペラが上演される。若くスターになる直前の才能あふれる歌手を選んでトリプルキャストなどでキャスティングをするのだそうだ。湖上ステージは、制作費も時間も通常の劇場公演の5倍かかるのだそうだ。制作費は、およそ38億円でそのうちの5分の1である8億円が公的資金なのだそうだ。あとは民間のお金が支えている。それでも経済効果が約150億円だという。

まあ、オーストリアであればこそ可能なのかもしれない。これをそのまま真似て日本でやったところでどうだろうか。芸術文化の受容度もアプリシエーションも雲泥の差だし、ちょっと想像ができない。例えば、琵琶湖。琵琶湖周辺には多くの文化施設があり、滋賀県立「びわ湖ホール」は、自前のオペラ製作にも力をいれており、予算もかなりかけているほうだと思う。ロケーションもびわ湖に面しているが、例えば、びわ湖でそういうことができるのだろうか。この研究プロジェクトの研究者の中には、びわ湖ホール館長上原恵美さんも入っている。上原さんがそういうことも考えていらっしゃるのだろうか。

一方、琵琶湖博物館に取材に行ったことがあるが、琵琶湖博物館は、もともと環境問題に関心が高い社会科の先生方の勉強会からスタートした経緯もあり、琵琶湖の水をきれいにすること、湖と周辺の生息物の環境、生活排水との関連などが主なテーマと成っているため、大概の博物館が教育委員会の所管であるのに対し、滋賀県立琵琶湖博物館は、水政課の所管になっている。ちなみに現在の知事は、元ここの学芸員・研究顧問で農学博士でもある大変意欲的で行動力のある嘉田由紀子さんだ。(これまでもこのお二人は、滋賀県の文化行政の中で大変尽力されているし、確かお二人とも他県からの移住者だったと思うが、そういう女性を受け入れて、トップに据えるというあたりに滋賀県の県民性も伺える。と話しが横道にそれたが、)

となれば、当然、この湖にステージを作って周辺に客席を作って、観光イベントにするというような企画が持ち上がった場合、環境問題などを取り上げて反対する人も出てくるのではないだろうか。水深がどうとか、実際にココでそのようなことができるかどうかというような具体的なことはまったくおいといても、ブレゲンツでは、そういう環境への悪影響など市民団体などからまったく何も問題になっていないのだろうか、などと思いながらも時間が4:00を回った。この後の質問の時間に質問したいのはヤマヤマだけど、ペルシャ文明特別メニューが頭をよぎる。ギリギリ4:15にここを出れば間に合う。徐々に資料をまとめて筆記用具をしまい、いつでも立てるように準備をする。今だ!目立たないようにサッと会場を出た。この日のシンポジウムは、後で、活字となって小冊子にまとめられるはず。と、納得させながら、ドシャブリの雨の中を美術館に移動した。

ギリギリセーフでレストランのテーブルに滑り込む。お水とおしぼりとメニューが運ばれた。一応メニューを開く。あれー、うどん、オムライス、ナポリタン、、、、なんか変。

「すみません。ペルシャ文明メニューは。。。」

「あー、あれは、2:00で終わりました。」

そんなー、そんなー、ではあーりませんか。そうとなれば、ここで、オムライスなど食べるより、御徒町の登亭でうなぎを食べたほうがいい。

ということで、「すみません。それを食べようと思ってきたのですが、ないのであれば、失礼します。」と美術館を後にした。

本来であれば、御徒町までは歩ける距離だが、この雨ではしかたがない、一駅JRを使おう。

御徒町に来たら、うなぎの前に寄るところがある。そう、あるスポーツ洋品店だ。とてもお気に入りの水着があって、同じ形のものをもう1着買いたいとおもっているのだが、なかなか入荷しない。何度か足を運んで無駄足だった。アメ横のお店なので、取り置きも取り寄せもできないし、入ったら電話してっというのもやってくれない。だから、こまめに来るしかない。と言っても、そうそうアメ横にそのためだけにわざわざ来ることもできない。ということで、この機にいそいそと店をのぞく。

だめだ。ないみたい。

「すみません。Ellesseのウエストがブラウジングしてるワンピースありませんか。」

「あれね。ちょっとないみたいですね。本店にあるかも。」

といって、見に行ってくれた。待つこと5分。

「これですか。」「そうそう、それです。」「サイズも良いし」

オレンジという色はあまり気に入らなかったけれども、この形が大事。

ヤッターうれしい!本当に何度も探しに来てたから。。。

しかもこの日は半額で、さらに10%引き。

ということで、今日もSo far, So good!

その後、登亭でうな重を食べて帰った。モロヘイヤスープは逃したけれど、今日も充実した1日であった。

日々感謝でありまする。

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2006年7月30日 (日)

「サウジアラビアと日本ー新時代の戦略的パートナーシップ」

昨日、午後は、広尾にあるアラブ・イスラム学院で「サウジアラビアと日本ー新時代の戦略的パートナーシップ」のシンポジウムに参加した。

愛知万博の「サウジアラビア館」の企画運営の仕事で2003年の冬以来、ここの存在を知り、いろいろとお世話になっている。おそらく、広尾の中国大使館の裏に、このように素晴らしいモスク兼教育機関があるのを知っている人は少ないだろう。ここは、サウジアラビアのイマーム大学日本校という位置づけになっており、多くの日本人がアラビア語を勉強しており、時々、様々なシンポジウムを企画している。

これまでも仏教・神道・イスラム教の宗教者会議や、アラビア語学習に関するものなどその世界での第一人者による興味深い内容のシンポジウムを行っている。

この日の第一セッションでは、東京国際大学教授の渥美堅持先生とアラブイスラム学院長アルジール教授のお話があり、拓殖大学森 伸生教授が議長を務めた。

遅れて行ってしまったので、それぞれの先生の発表が終わったところで、質疑応答になっていた。

渥美先生の興味深い発言は、「世界の安定のために、国家のビジョンとして日本はサウジの現サウード政権を守ることが重要」とおっしゃった。「中東のなかには、ペルシャ、トルコ、ユダヤ、アラブの世界があり、それぞれが違う。」「現在は、宗教が国家アイデンティティーになっているが、これをおのおのの国家アイデンティティーをもった国へと軟着陸で移行させることが大事」で、「イスラム概念をはずさずに、スムーズに」「日本も100年かかっているので、サウジも何年かかるかわからないが」「そのためには、若者の育成・吸収が大事であり、留学生の受け入れ、相互の教育機関での交流が重要だ」と。

4月にサウジの皇太子殿下がお見えになって、サウジ私費留学生に対し国費留学生にすることが決まったり、大学に研究機関・研究所の設置などもきまったようだ。早稲田大学では殿下に名誉博士号が授与されたらしい。

これまで、この学院では、どちらかと言えば、サウジ側に気をつかった内容が多かったように感じていた。たまに鋭い質問(イスラム教の教えとサウジのギャップに関する微妙な質問など)をする人は、ほとんどなく、たまにそういう質問をすると、終わってから「あまり、厳しいこと言わないでよ~」と関係者に言われたりする。でもだからと言って、言ってはいけないというような雰囲気はなく、アットホームな感じだ。それは、ここに来ている人は、ほとんどが何らかのかたちで、サウジと関係があったり、学院で学んでいる人だったりするせいもあるかもしれない。私も行くと必ず、4,5人は知った人に出くわすし、もちろんスタッフとも顔見知りだ。

そういう意味で、渥美先生の発言は、ここでは、結構珍しい部類に入る。政治的な発言をここで聞くことはほとんどない。サウジからの留学生にサウジの体制など政治的な質問をすると困るようで「あまり、政治のことは、分かりません。」という答えが返ってくる。

以前、地球物理の国際学会の仕事をした時、天安門事件(第二次)の後だったので、会議終了後の関係者の会食の際、中国から参加していた先生に、こそっと、そのことについて意見を求めてみたが、彼はニコニコして、同じようなことを言った。フランスの先生や日本の先生に「そんな質問しても彼は答えられないよー」とたしなめられた。分かっていても、どう反応するか聞いてみたかった。知識人は海外で、他の関係者がいないときには、発言できるのかと思ったりもしたので。

話がそれたが、第二セッションは、サウジと日本の技術協力にかんするもので、住友化学の常務廣瀬博氏によるサウジでのラービグ計画に関する発表と早稲田大学博士課程の留学生でイスラム学院の文化・広報部長でもあるイサム・ブカーリさんの「サウジ・日本の今後の技術協力推進のロード・マップ」という理想的なプロジェクト構想の発表だった。

イサムさんには、万博の時にはじめから最後まで、あらゆる局面で協力していただいた。日本語も大変流暢で多方面の知識も豊富で優秀な留学生だ。4月のスルターン皇太子殿下の来日の際には、彼が通訳を務めた。「ちきゅう市民クラブ」の活動にも協力していただいている。

彼の発表は大変希望にあふれる企画であったが、万博の仕事でサウジからの衣装その他の調達に苦労した身の私としては、「いい組織をつくってもサウジとの仕事では、スケジュールを守らなかったり、約束を守らなかったり、実際のオペレーションに問題があるので、そこはどうするのか。」というような質問をちょっとやわらかく、してみた。

こういう場で質問をしても、大概は、うまくかわされてしまう。私の隣に座っていた女性は、学院長に女性としてどういう貢献ができるかというような質問をしたが、これもかわされていた。

でも、ここでのシンポジウムでは、比較的たくさん質問する人がいて、なかなか面白かった。年々感じるのは、日本でのイスラム文化への関心の高まりだ。9.11以降、NHKでも盛んにアラビア語講座やイスラムの潮流などの番組を作っている。

自分から、イスラムについて知ろうとしない人には、「イスラム=過激派、テロ」と思っている人も少なくない。本来「イスラム」の意味は平和の意味であり、イスラム諸国で女性の大臣や大使、首相などが多くでていることからも、我々のイメージと実際のギャップがある。

私も、そのために、このような機会があれば、なるべく多く参加して、貪欲に学びたいと思うし、やはり、その国の人と知り合うことが近道だと思う。イサムさんにしても学院にいるサウジ他アラブ諸国からの留学生は、皆まじめで親切で約束をしっかり守る非常に優秀な人たちが多いことを誤解のないように記しておこう。お互いに両方の文化を学ぶものが増え、地道な交流が続けば、きっと、イサムさんが提案するプロジェクトもうまく稼動して、互いの発展に寄与できることだろう。

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