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2007年1月26日 (金)

Arts Management - A Creative partnership

南ユタ州立大学パフォーミング&ビジュアル・アーツ学部長、ウイリアム・バーンズ教授の講演会が早稲田大学演劇博物館21世紀COE演劇研究センターの主催で開かれた。

「アメリカでも芸術組織の50%が赤字で赤字から抜け出せないでいる。」という発言はノッケから意外だった。少なくとも米国では、企業や資産家のパトロン、スポンサード、市民の寄付行為などが根付いていると思っていたからだ。著名なオーケストラやバレエ団など潤沢な予算を獲得している組織も多いはずなので、おそらく、中小の数限りない組織、団体が存在しているということなのかもしれない。「そういう組織では、個人のクレジットカードで自転車操業しており、寄付や助成金が得られるまでは、チケット収入に頼ざるを得ない」のだそうだ。(うーん、どこかで聞いたような話だ。)

ある日、劇場に行ってみると、スタッフは、いきなり“解雇”を言い渡されることもあるそうで、「そうならないためには、聴衆、観衆が求める内容の公演をすることが大事なのだ」とおっしゃった。また、企業の助成金や協賛をもらい続けるためには、その企業の求める内容を追求し続けることが大事だ」ともおっしゃった。確かにそうかもしれない。

しかし、一方で、「企業協賛の60%がスポーツイベントに対して」であり、「一度も博物館や美術館に行ったことがない人が米国内に何十万人もいる」状況の中で、アーツが追求できるのだろうか。アーティストをアーティストたらしめているものは、迎合でも商業主義でもなく、各自の自由な活動だと思われる。自分の発信したい思想や感性を誰にも理解してもらえないかもしれないけれども発信したい、それがアーツの源なのではないかとも思う。それがトンチンカンであるものもあるかもしれないが、一般の人の感性よりも、1歩も10歩も先をいくものであることもあり、その時代には、評価されないけれども、後年、その作品や思想、人となりが評価され、共感され、作品が脚光を浴びることがある。画家、音楽家、作家などでも生活に困って人生を終えた人も多いし、そういう人は、かならず、苦難の時代を経験したりしている。

かつて、戦時中、国策や軍部の求めに応じて、国策画を描いた画家や、俳優・歌手が、戦後、糾弾されたり、批判された。それと似て、今は企業やマネーに対してアーツがあまりにも寄り添いすぎていないかという批判もある。同様に、大学や研究の場が、“お金につながる研究”に傾いている傾向もある。それが、現在の世界の価値観であり、社会の成り行きなのかとも思う反面、もちろん、逆のベクトルの考えも無視することはできない。もちろん、アーティストが貧乏でなくてはならないわけでもないし、お金を稼ぐことができないよりはできたほうがいいに決まっている。良いことをするにも、今は何かとお金がかかるのだから。

アーティストがマネーに擦り寄っていくのでなく、アーティストがマネーや人を惹きつけられる魅力や先進性、共感をどのように生み出すかの方に研究の力点がおかれてもいいようにも思うけれど、それを教えてくれるような人も研究も実際にはあまりないようだ。きっと、アートに関わる人は、そっちを求めていることだろう。「オリジナリティーのあるものは売れる。」などと簡単に片付けられているが、当人たちには、そんな簡単なものではないようだし、何が売れるか、当たるかに関する明確はシステムも方法論もない。偶然性と必然性という両方をせめていっても、それをうまく説明、解明するのは、「人間」の研究と同じで、明確な答えなど出るはずがない。それが、まあ、人間のおもしろいところであり、すごいところなんだろうから。まあ、事例研究から、統計的なエッセンスを抽出することで、ある程度の可能性としてのアーツ・マネージメント論を導き出せるのかもしれないが。

おりしも、“総合学習の反動”で、義務教育関係では、教科の指導に躍起になっている。某大学の講師に決まった友人は、「学生の英語学力は中学生並」と採用の際に言われたらしい。

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