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2006年6月30日 (金)

ブラボー! brother !!

 ここ数日、私も疲れに疲れきっておりましたが、同じように働かされ続けていたPCもプリンターもお疲れになっていたようです。ほとんど、連日20時間くらいは働かされていたのではないでしょうか。

 ということで、PCも調子が悪くなり、プリンターも「41 ソウチカクニン コールセンターヘ」という表示が出てしまいました。プリンターはブラザーの製品。ブラザーのサポートは、大変優秀です。

 即、代わりの機器を手配してくれ、無料修理。届いた代用品の箱に修理するプリンターを入れて、そのまま返送。しかも着払い。その3日後には、修理済みのプリンターが届きました。

 あまりの速さにびっくり!。代用品の接続、インストールをしたばかりで、また、修理済みで戻ってきたプリンターの接続設定と、ここ数日、連日のようにPCとプリンターの設定やサポートに時間をとられることになりましたが、ブラザーのサポートの対応は、本当にすばらしい。電話の応対も丁寧で、仕事が早い!

 以前にも年末に年賀状の印刷をしていた時、急にプリンターの調子が悪くなって印刷不能になってしまったことがありました。サポートのコールセンターに電話しても、もう年末で休みになっていて、どうしようかと思いながら、販売店のビッグ・カメラに連絡しました。すると、ブラザーの営業マンから連絡があり、「年末でサポートの部署が休みになってしまって、対応できなくてご迷惑をおかけします。ビッグ・カメラさんの店頭に在庫がありますので、新品交換いたします。」と言ってくれたのです。たぶん、ただのトラブルで、サポートを受ければ難なく解消される問題だったかもしれないのに。それなのに。それなのに。。。。なんと親切な対応だこと!

 しかもビッグ・カメラとの連携よろしく、店舗の担当者が自分で車を運転して、翌日届けに来てくれたのでした。素晴らしい!これには、感動した!

ブラボー!brother & ビック・カメラ!!! 

(ちなみにPCのHITACHIもサポートは優秀です。)

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2006年6月26日 (月)

トルコ大使公邸でのサマー・パーティーご案内

ここのところ、睡眠時間がなかなかとれず、といってもW杯のせいではありません。

出張あり、昼間は通常の仕事をしながら、夜中にパーティーの案内や手紙を書いたり、

メールでの案内も一人一人だすので、気がつくと明け方の5:00とかいうことが多く、送信トレイも一杯で、確認しながら削除するにも、結構時間がかかりますね。

まだまだ、ご案内したい人への案内も間に合わず、毎日、少しづつやっております。

そんな怒涛の日々であったために、ブログの更新もままなりませんでした。

トルコ大使公邸でのパーティーのご案内用に別ブログをつくりました。

リンクのInternational  Club のところから是非のぞいてみて下さいね。

続きを読む "トルコ大使公邸でのサマー・パーティーご案内"

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2006年6月15日 (木)

ピムズ&パーセル・ガーデンパーティー@イギリス大使館

先日、日英協会とBCCJ(英国商工会議所)との共催で、ヘンリー・パーセルを聴きながら、ピムズを味わうパーティーがイギリス大使館№5ハウスで開催された。

East Sussexの長くゆったりした夏の夕刻をイメージして、緑のガーデンで心地よい風に頬をなでられながら、室内楽とピムズ カクテルを楽しんだ。

Karuko これがピムズ。ジンベースのレモネードアイスティー。中にオレンジ、レモン、ミントなどを入れている。ちょっと甘いが、水分を欲しくなる夏の夜に、飲むのに適している。(もちろんビールもいいけれど)

ただ、「イギリス」だから、氷は入っていない。

Karuko3 ヘンリー・パーセルを聴く会となっていたが、モーツァルトの セレナード第13番「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」から始まり、ジュピターなど様々な音楽を奏でていた。最初は室内にいたが、主にガーデンでかすかな弦のアンサンブルを聴いていた。

ヘンリー・パーセルHenry Purcell)は、1659年生まれ、1695年没。イギリスの作曲家。17世紀に活躍し、イタリア、フランスの影響を受けたと言われ、独自の音楽を生み出した。もっとも優秀なイギリス人の作曲家の1人として知られている。Karuku1_1

庭では、おしゃべりに花がさき、昔恵比寿にあった会員制の「ブリティッシュクラブ」というところで、何度か会ったことのある方に再会したり、初めて会ったNZの方やイギリスの方とも会話が弾んだ。

ピムズが飲みやすいせいか、グラスが空くのも早く、何度も注ぎに来てくれるので、ついつい飲みすぎてしまった。皆ほろ酔い加減で、ピンク色のレディース 4でした!

その後、また、美味しい中華へ行ってしまった。

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2006年6月11日 (日)

ライブハウス

週末に実家に帰った。けんちゃんとも遊んだ。

たまたま土曜の夜は、母が石田桃子のデュオライブのチケットを2枚買っていた。母の良いところでもあり、悪いところでもあるのは、無計画にお付き合いで切符を買うことだ。誰を誘うこともなく、まして、私が実家に帰る予定もなかったので、しょうがないから、けんちゃんを連れていくつもりだったらしい。

しかし、夜のライブハウスに5歳の子を連れて行くのもちょっと可愛そうな気がした。

それで、けんちゃんはおうちに帰り、母と二人でライブへ行くことになった。

1ドリンク付き2800円のチケットは、安い部類に入るだろう。

6:00開場7:00開演。当然、そこで、飲食をするように、会場時間は1時間早く設定されている。

私たちは、直前になって、誰が行くとかなんとかやっていたので、ライブハウスに着いたのは7:00を過ぎていた。

お客さまは、私たちを入れて、20人ほど。ちょっと寂しい。客足が遅いのか、少し開演時間を遅らせ、実際にライブが始まったのは、7:20くらいであったが、客は増えなかった。

1stステージは8:15くらいまで。その後15分休憩して8:30から2nd  ステージが約1時間。好きな人には濃密で楽しい時間だっただろう。私は、いろいろと考えてしまったのであまり楽しめなかった。

石田桃子さんは、ご存知の通り、石田純一のお姉さんだ。ステージの最初に弟ネタをもってくるのを嫌味に感じる人もいれば、「エー。そうなの」と喜ぶ人もいるだろう。しかし、いくつになっても若々しい。この日はピンクのジャケットにピンクの帽子、黒のパンツに赤のサンダル。ジャンルは、ジャズあり、オリジナルあり、クラシックあり。。。2回目のステージのほうが明らかに良かった。最初のステージは、ちょっと堅かった。お客があまりにも少なかったからだろうか。

地方の中都市で、しかも東京の中心との距離が電車で1時間強という地域においては、このようなライブハウスの経営は大変だと思う。この日のライブでも、できれば、100人、最低でも50人は集客したいところだろう。いくら飲食で売り上げが出るからといっても、この数字の現実は厳しい。

ここは、結構世界的なジャズ・ピアニストたちが定期的に演奏をすることでもその世界の人には有名だ。

このライブハウス(レストラン)のオーナーは母と友達で、私も親しくしている。お料理も美味しく、建物の外観もコンクリートと木造の内部のつくりもテーブルもイスも素敵なところだ。

先日、30歳位の若い友人がドライブで近くに来たので、ランチの美味しいところを紹介してと、突然電話があった時も、このレストランを推薦した。彼女は、「リーズナブルで美味しくて堪能した。」と報告してくれた。

敷地内には、他にブティックやカルチャーサロンなどもあり、地域の文化発信基地を目指して20年ほど前に造られた。

2年位前に冗談で、「代わりにお店やってくれない?」と言われたことがあった。きっと、苦労も多いのだろう。

TVに出ている人でしかなかなか集客ができないところで、このようなライブハウス・レストランに定期的に足を運んでもらる工夫はなかなか難しいと思う。しかも、この地域は、なぜか貯蓄率が高いらしく、お金を持っていてもなかなか使わない人が多いのだそうだ。うちのようにお金がない家に限って、しょっちゅう使っているのだが。また、使っているから貯まらないのですね~これが。

以前、シーガイヤがつぶれる前に取材に行った時のこと、支配人が「アジアからの集客を期待していたが、来てくれても、中で食事をしてくれない。来る途中でコンビニにバスを止めて、そこで、パンや弁当を買ってバスの中で食事をしてしまう。このあたりが、ハズレタ!」と言っていた。

沖縄に出張した際に、泊まった日航アリビラのライブハウスにもお客が全くいなかった。

出演者のグループが4人、その友達か関係者が一人。そのほかは私たち3人だけだった。バツが悪いくらいに寂しかった。

部屋はほとんど満室なのに、みんな部屋で集まって宴会をしているようだった。

私たち日本人、アジア人にはまだまだ心の贅沢は敵なのだろうか。。。。

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2006年6月10日 (土)

7月のNPOのイベント

5月に登記や税務署、都税事務所への登録、都庁への報告、口座の開設などもろもろの手続きを終了したNPO「ちきゅう市民クラブ」ですが、7月は、2つのイベントに関わります。

1つは、月島の「草市」で、30年の歴史ある夏の市。昨年までの運営方法と変わって、今年から商店街や市民などが中心となって、街づくりの一環としてやることになり、我々のNPOにも協力要請があった。芝浦工大の先生や学生、明治学院大学の先生や学生も参加し、新しい月島のイベントとなるよう準備が進められている。7月12日から14日まで3日間開催される。我々は、珍しい国のお料理や飲み物。パフォーマンスなどを提供する予定。

もう一つは、トルコ大使館でのパーティー。昨日、霧雨そぼ降る中、原宿にある大使館に打ち合わせに行ってきた。大使館の協力で7月18日(火)大使公邸をお借りしてチャリティーパーティーを開く。大使もホストとしてご協力頂ける。トルコ大使は、ものすごくチャーミングでフレンドリーで行動力のあるスーパーレディー。本当は、おととしからトルコ大使館でのパーティーを企画していたが、その年が「日本におけるトルコ年」で、大使が非常にお忙しくされており、なかなかスケジュールの調整がつかなかった。その後もたまたま、色々なパーティーなどでお目にかかる機会もあり、そのたびに「やりましょう。是非、やりましょう。」とおっしゃって下さった。

今年はじめに私がたまたま仕事で関わった「国際宝飾展」でもトルコ大使がテープカットをされた。7月6日には、渋谷区国際交流室が主催で講演会も開催される。2006.7『論座』にも寄稿されている。民間の集いなどにも積極的に参加され、また、文化交流にも意欲的だ。なるべく長く日本にいて頂きたいと切望する。

パーティーの詳細は、また、後ほど、ご案内させて頂きます。ベリーダンスのパフォーマンスも用意しますので、是非、お楽しみにいらしてくださいね、

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2006年6月 9日 (金)

けんちゃん語録2「大丈夫だよ!」

けんちゃんは、最近では自分でいろいろと絵も字も書けるようになりましたが、以前は、「書いて」「描いて」といつも何か私に書かせたがっていました。

ある日、サインを書いたら喜んじゃって、何枚もメモ帳を持ってきて「書いて」「もう1枚」「もう1枚」と何枚も書かせました。

「けんちゃん、これ売ってくるよ。」

「どこで」

「まちへ行って。」

「でも、こんなの売れるかな~」

「うん、大丈夫!売れるよ。」

そう言って、隣の部屋のママの所へ行きました。

「ママ、これかって下さい。」

「いくらですか。」

「500円です。」

「高いですね。」「50円にしてください。」。。。。

ある日曜、実家でけんちゃんと遊んでいた。お昼になったので、おにぎりを作ることにした。けんちゃんは梅干が大好きなので、梅干のおにぎりを作った。でもしゃけも食べてもらいたいと思って、梅干としゃけと両方いれたおにぎりも作り、万が一、しゃけが入っているからヤダと言われたら困るので、梅干だけのものを3個づつにぎった。梅干がしょっぱそうだったので、塩をふらなかった。

けんちゃんと一緒におにぎりを食べ始めた。私が、

「あー。なんか味がないよ。やっぱり塩つければよかったな~」

大丈夫!美味しいよ!」

と言いながら、本当においしそうに梅干のおにぎりも梅干としゃけのおにぎりも食べてくれた。

2人で6個食べてしまった。

先日、実家に電話をしたときに「けんちゃんが話しがあるんだって。」と言って電話口にけんちゃんがかわった。

「N先生が結婚しちゃうんだよ。結婚して山梨へ行っちゃうんだって。」

すぐにN先生が誰なのか、ピンとこなかった。そう、けんちゃんのYAMAHAの先生だ。

あまり練習していなくて、いつもばあちゃんに怒られているが、教室に通うのは楽しいらしいし、先生が好きだったようだ。

その数日後にオルガンを修理に来たおじさんにも、二人きりでいるときに、けんちゃんが

「今度、YAMAHAの先生が結婚して山梨へ行っちゃうんだよ。」と涙グミながら話したらしい。「よほどいい先生だったんですね~」と後で、おじさんは、ばあちゃんに話した。

その後、私が庭でけんちゃんと遊んでいると、急に思い出したように、

「ケコちゃんも女なんだから、結婚してこどもができるかもしれないんじゃない?」

「まあね。」。。。。。。「でも、もうだめじゃない?」

「そんなことないよ!大丈夫だよ! 

こんなこどもの言葉ではあるが、涙がちょちょぎれるほど、うれしく、勇気がわく。。。

ああー、こどもって、こどもって、本当に良いもんですね。

母は強しってのは、こういう喜びの上にあるんだろうなー。

もっと早くに知っていれば。。。ねぇ。。。

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2006年6月 8日 (木)

ノースウエスト航空へのクレーム2

その後のノースウエストの件ですが、その後2日が経過しましたが、もちろん、いまだにクレーム担当者からの電話はありません。

結局個人名で送っていただいた領収書も宛名が間違ってる!

どうなってるんでしょうね。Uchikawaさん!!

そんなことで勤まる仕事、職場って。。。。そういう会社のエアーラインって。。。てことですよね。今度は、JALはJALカードでマイレージをせっせとためよう。

しかし、シンドラーエレベーターもひどいですな。

世界的にこれだけ事故があると保守点検会社のミスや、アジア工場のミスでは、すまされそうにはないと思いますが、あくまで強気ですね。

シンドラーのリストのシンドラーさんと関係があるのでしょうか。

私は、この会社って今回初めて知りましたが、安いからと自治体や公共の施設に多く導入されているとのこと。

私も何度か仕事で東京工業大学のすずかけキャンパスをたずね、あのエレベーターに乗ったことがあるので、ひとごととは思えません。

安全を問うものの値段が一番安いものを取るという基準のみの入札システムで採用されること自体に問題があるように思います。

ある医療関係の理事長がずいぶん前に、「自治体や学校の健康診断も同じで、医師が複数でチェックするような仕組みを提案すれば、それだけ人件費もかかるので高くなるのは当たり前。でも入札では、すべて金額の一番安いところが取るので、健康という大事な分野で、それで良いのか疑問だ。」と話していました。

たぶん、金額が高いか安いかならば、誰にも一目瞭然で、内容の良し悪しを判断できる人が少ないからだろうと思います。

私も自治体の博物館関係の仕事などもしたことがありますが、予算の金額などは、一目瞭然ですが、教育的な内容や企画概要、コンセプトや演出方法など、数字でない内容に関して、自治体担当者は、役所内の上司や議会で議員さんに自分ではうまく説明できないので、それなりの資料をそろえてくれといつも言っていました。

場合によっては、担当者が書く報告書も代書して欲しいとリクエストされることもあります。

確かに、予算がないところでは、リーズナブルな金額が望ましいと思いますが、安かろう悪かろうを公共が率先して安全をないがしろにするようだったら、大変問題だと思います。

もちろん、リーズナブルというのは、安かろう悪かろうではありませんね。安いものには安い理由があり、高いものには納得できる高い理由や付加価値がある、当然のことです。

姉歯案件にしても、結局は、結果として、高くつくことになりましたしね。

結局、色々と国であれ、県であれ、市であれ、問題がおこって、補償、賠償となれば、裁判に「国が負けた」とか「県が負けた」とか言って、最後のその賠償金は、国の税金であり、県の税金であります。

役人にも責任を自覚してもらって、責任を取るような仕組みも作って欲しい一方、結局は、国民、市民がちゃんとウォッチして、働きかけないといけないということなんでしょうね。

政治レベルは国民のレベル、官僚のレベルも国民のレベル、役人のレベルも国民のレベル、会社のレベルも社員のレベル、社員のレベルも役員のレベル。。。。。。。。。。

頑張ろう!

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おいしいプリン

いつも写真を撮る前に食べてしまいます。今回も途中で、そうだ!と思って写真を撮りました。

大変美味しいプリンです。

Purin1 人形町在住のグルメなピアニストさんに頂きました。

水天宮つくし謹製人形町風鈴(ぷりん)

最近は白っぽくてクリームっぽいプリンが流行りですが、はやり、黄色くてしっかり弾力があり、カラメルの甘ニガのはっきりしたプリンが好きです。

Purin2_2 これは、そういう意味では、昔懐かしい素朴ながらもしっかりした美味しいプリンです。

どうもありがとう!

ご馳走さまでした!また期待しています。

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2006年6月 7日 (水)

ノースウエスト航空へのクレーム

今日、来週の出張の切符の手配をしていた。自分の事務所とは別に、私が役員を務める会社は、小さな会社だが、顧客が大手の企業なので、社長と私が一緒に出張で飛行機に乗るときには、必ず別の便に乗ることにしている、万が一、二人ともいなくなったら、顧客へのサービスや責任が果たせなくなったら困るからだ。地方都市へいく場合には、便数もそれほどないので、時間的なロスもあるが、仕方がない。

そんなわけで、ユナイテッドのマイレージを使って、ANA便を、ノースウエストのマイレージを使ってJAL便をそれぞれに予約した。ユナイテッドは、手数料15ドルを取る。個人のクレジットカードからの引き落としになるという。一応、出張経費なので社名での領収書を送っていただくようにお願いした。一方ノースウエストは15ドルのほかに緊急発券料50ドルをとる。同様に個人のクレジットカードからの引き落としだ。同じように会社名での領収書を出していただくようにリクエストをした。そしたら、会社名の領収書は、出せないと言う。なぜですかと聞いたら、会社の方針なのだそうだ。

出張で旅行代理店などで自分で自分のクレジットカードを使って、切符の手配をし、立て替えたとしても、どの旅行代理店でも会社名の領収書をもらっている。個人名でなければ出せないと言われたことはない。文房具や備品などを買っても同様に請求書を会社名でもらっている。ダメだといわれたことはこれまでになかった。

だから、なぜだめなのか聞きたかった。しかし、会社の方針の一点張りだった。いかなる理由で個人名でしか領収書をださないことを会社の方針にしたのか、その理由があるはずだ。もしかしたら、本当は会社名でもらってはいけないのだろうか。税務上のことや会計上のことで、なにか理由があるとか、そういうことを知りたかった。

上司かクレーム担当につなぎますかと聞かれたので、お願いしますと言った。しばらくしたら、「会社の方針なのでそれ以上、言うことがないので、上司は電話に出る必要がないと言っています。」今時、こういう対応をする会社はめずらしい。本当に上司がそう言ったのか、その人がそういっているのかは不明だ。

私は、他にもクレームを言いたいので、クレーム担当につないでくださいとお願いした。

「どのようなクレームなのか、一応私に話してからでないとおつなぎできません。」

「まず、最初にあなたが、電話にでて、話始めたとたんに何も言わずに切り替わって、

テープが流れて待たされたこと。その後もただ、「はーい」といって、待たせたことについて何も言わなかったこと。私が利用者番号を言ったとたんに何の確認もせず、「あなたはご本人ではないので、申し込む権利がありません」と言った事。しかも私が女性であるにも関わらず、そちらのミスで勝手に私の名前の前にMR.をつけていて、声が女性だったからと、何の本人確認もせずに、「本人でないので申し込む権利がない」と決め付けるのは、大変失礼ではないか。その後もあなたの対応は、「お取りできマース。」とか不快な口調及び態度で対応している。」と私は言った。「ちゃんとこの会話はモニターされているんでしょうね。」と付け加えた。

その人は「申し訳ありません」も何もなく、淡々と人事のように「では、お待ち下さーい。」「ただいま、クレーム担当者は、電話中ですので、後ほど、ご連絡させて頂きまーす。」その後、ずーと待っていたが、電話は来なかった。

ここ数年は、顧客サービス・顧客満足を日本企業は徹底しているので、このような対応は、日本企業にはあまりない。たまにNTTやJRなど、かつて国営 だった企業では、見受けられる。また、銀行でもサービスしているつもりでも的を得ていないことが多い。(また、いろいろ思い出してしまった!)

でも、外資系の日本法人は、結構ひどいものがある。外資系こそサービスが行き届いていると思っていたがそんなことはない。

たとえば、シティーバンク。ここの案内は、大変トリッキィーである。たとえば、「ただいまならシティーバンクカード年会費無料」と大きく書いている下に括弧して小さな字で(入会後1ヶ月以内に○万円ご利用の場合)。

こんな調子である。いまどき、そういうのって、あまりお見受けしないように思いますが、いかがでしょうか。別の件で電話しても担当者がとてもふざけた対応だった。言葉は丁寧だが明らかに心が入っていない。多分映画でも見ながらマニュアルを読み上げているようなそんな感じだ。またTNTイクスプレスという国際輸送の会社もひどかった。あまりにひどいので、もう2度と使わないと心に決めた。ちょうど万博のオープンにあわせて、荷物をサウジアラビアから送ってもらった時のことだ。詳細を書くと長くなるし、また、思い出して頭にくるので、やめておく。

多分、そういうのは、社員ではなく他社にアウトソーシングされていたり、派遣だったりするのかもしれない。

ある日本の会社に電話して「○○さんお願いします。」といったら、「ハー、そういう人はいません。」「でも先月も同じ番号にかけましたがいましたよ。異動されたのでしょうか。」「私、派遣なので、わかりません。」結局は、異動もしておらず、たまたま席をはずしているだけだったのでした。

今時、派遣会社は、そんな対応を許しているのでしょうか。過当競争で派遣会社も派遣する社員や登録者の教育を十分にしているとおもったのですが。

第一、このごろはどこへ電話しても、先にテープが流れて「○○の場合は、1番、○○の場合は2番を押してください。」というのも大嫌いだ。カテゴリーに当てはまらない場合があるから、結局行き着けない。便利のようでますます不便になっているとおもいませんか。

美術館の案内もしかり。ちょっと確認したいことがあって、ホームページやチケットを見ると、わざわざ【お問い合わせ先】として電話番号がのっており、その後に括弧して(ハローダイヤル)と書いてある。案の上、開館時間とか、今何やっているか、そんなことしかわからなくて、館内情報や付帯設備やちょっと質問すると「お待ち下さい」待たされた挙句に「こちらでは分かりかねます。」「何番におかけ直し下さい。」

何が問い合わせ先だ!と思ってしまう。全てが、効率化というか自分たちの組織の中の都合しかみていないと思いませんか。それともNTTの営業トークに負けてしまっているのでしょうか。利用者やお客には、こういうのはとても不便なんですよね。

そういうことが、長く続くとお客のほうも画一したマニュアルだけの内容しか気にしなくなるし、仕方ないと思いながらも、それに飼いならされていってしまうような危惧を覚えるのは私だけでしょうか。

コミュニケーションが希薄になれば、責任感も減退するし、人の付き合いも薄っぺらになるし、愛情も思いやりも気配りも薄れるように思います。

友達が江戸のマナーみたいなことを一生懸命学んでいますが、「江戸時代には、傘もってすれ違うときにはお互いに斜めにさしかけてぶつからないようにしたんだって。」それは、ぶつからないようにしようと、気をつければ、そんなことするのは、当たり前だったのに、最近は、確かに突進してぶつかってくるような人が多い。身体感覚の欠如と他人への思いやりがなくなっているのは、そういうコミュニケーションの画一化、希薄化なども大きく影響しているのではないでしょうか。

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2006年6月 6日 (火)

世間は狭い

5月に放映されたTV番組の仕事でお世話になったチーフ・プロデューサーKさんが、他局の番組のオヤジバンド特集に出演したと、その番組の担当ディレクターYから間接的に連絡をもらった。Yさんともその番組の別のコーナーで昨年11月12月にお世話になっていた。Kさんは、30代前半に見えたので、オヤジバンドってのもないだろうとおもっていたが、とにかく、連絡をもらったのが、番組終了後だったので、内容は、見られずだった。

その後、Kさんに連絡する機会があり、その件を尋ねると、「世間は狭い」などとびっくりしながらも、しかもお互いに教育番組での仕事だったので、それなりの顔で仕事をしたわけだが、実は私も高校時代にQUEENのファンクラブにまで入っていたほどの大のQUEEN好きとのことに驚いていたようだった。

そう、Kさんは、なんと、あの有名なQUEENのトリビュートバンドKWEENのメンバーだったのだ。ブライアン・メイからも認められて、手紙をもらったり、ロンドンでもライブを開催したり、TVの取材を受けたりと、長い歴史と実績のあるバンドだ。

見たことのある人は、一様にインパクトを受けるだろうが、KWEENは「フレディー」があまりに濃い~ので、他のメンバーの顔や名前まで注意が及ばない。

ということで、今月は、楽器屋のイベントに参加するようだし、来月は沖縄でのフェスティヴァルにも出演するらしい。筑紫さんの番組にも出るそうだ。

Kさんは、某NHKでこども向けの教育番組を担当されており、その手のプロデューサーとしては、稀にみるイケメンだ。30代前半に見えたが、プロフィールを見るとちゃんと40代だった。楽しみを持っている大人は美しい!

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2006年6月 5日 (月)

文化と芸術を巡る考察1

文化政策

日本の文化政策では、1.芸術の伸張と2.裾野の拡大というこの二つをうたっている。(他に日本語、宗教などもあるが)文化ホールやコンサートホールは、いわゆる質の高い芸術、ホンモノを知る、その世界の一流のものに触れるという機会を創出する目的を担っている。一方、地域の公民館活動や教育委員会が行う生涯学習などは、どちらかと言えば、裾野の拡大を担っており、それらが相互に補完されることで、芸術文化環境の循環を目的としている。

わかりやすく言うと、公民館や婦人会でフラダンスを習っているおばさんは、ハワイから来た著名なダンサーの公演に興味をもって、高いお金を払ってでも文化ホールに見に行くだろう。そして、また、地域で自分のダンスの練習に励む。フラダンスを習っていなければ、見に行くこともないかもしれない。習ってる人がいなければ、見に来る人もいないかもしれない。

こどもがピアノを習うなら、その世界の一流と言われるピアニストの演奏を聞かせたいと親がこどもを文化ホールに連れて行く。そうする機会は、こどもに一流と言われる上の芸を教える良い機会になる。そして、そのこどもはそれを目指し、あるいは意識の中におくことによって、自分のピアノの質や腕の向上に資するわけだ。そうして、その著名なピアニストが立った同じ舞台で発表会を開けば、そのこどもの感動や潜在的な意識においても、大変に大きな影響を与えることになるだろう。

そうして、ピアノを一生懸命頑張って一流のピアニストになるかもしれないし、なれなくても地域のピアノ教師となって、多くのこどもたちの音楽教育に貢献できるかもしれない。途中で挫折してやめてしまう人もいるかもしれない。一流を目指すなら、その道をまっしぐらに進むのが筋だろう。だが、一流のピアニストになった人だけが偉いわけでもなく、価値が高いわけでもない。そうなるためには家族の協力や様々な要因も必要だ。ただ、その道だけでしか生きていない人には、一流かどうかは一大事だ。

産業と消費としての文化ーメディア・広告との関連ー

私たちのこどものころは、ピアノは、社会的な豊かさの象徴なようなものでもあった。応接間にピアノのある暮らしが戦後の日本のあこがれでもあったのだ。それは、もちろん欧米の映画やTVドラマや広告などメディアの影響が多分にある。

ピアノがある程度、地域の文化度に貢献したと私が思うのは、製造メーカーと楽器店による組織化した音楽教室の創出による。そうして、音楽教室でこどもにピアノやオルガンを習わせれば、必ず親は関心をもち、演奏会に連れて行きたくなる。そして、成長し、音大へ行き、ピアニストになれなくても地域の楽器店でピアノの先生として後進の指導にあたる。そういう職業や産業とのサイクルができている。どの産業でもその人材が育つかどうかは、その職業で食っていけるというインフラが整っていることが必須だ。ピアノの先生には、その道が開かれているが、他の絵や演劇にはそういう仕組みがあまりない。 更に、クラシックのピアニストにとっても条件は厳しい。

文化庁が創設されたのは1968年。徐々に戦後の日本の文化政策が重い腰を上げ、文化国家日本を目指して動き始めた。そうして、音楽ホールが建設され、県立から、市立へと大型公共事業としての文化ホールが日本中で建設された。竹下総理のふるさと創生で、その数は一気に増加した。

しかし、目に見える建設資金には億単位の予算がついても、開館後の音楽家の出演料や企画料など、目に見えない予算が確保できずに、いい演目や値のはる企画(当然一流といわれる人のギャラは高い)は都道府県立でかろうじて維持されてはいるが、なかなかできなくなっている。バブル崩壊後、次々私企業のホールやデパートの美術館が閉館を余儀なくされ、公立も予算はますます減少傾向にある。おりしも独立行政法人化や利益の採算性が言われるようになり、そうして導入された指定管理者制度であるが、これも意図したようには機能していない。

日本の長所でもあり短所でもあるのは、それまで、全く関心がもたれていなかったことが、ある日突然、それ一色になってしまう点だ。そう、今では、公共ホールも自治体も収益性を考えなくてはならないということが、まるでブームのようにあちこちで言われるようになってきた。そうすると当然のようにファンの少ないクラシックや小数派にしか支持されないものが排除される傾向になる。そして、大衆化したものが選ばれることが多くなる。黙ってても集客でき、民間がやるようなものを自治体もやることになる。私が、地方の教育委員会でやっている「○○市民大学講座」という講演会の企画でも、問われるのは内容ではなく、ネームバリューやどれだけTVに出ている人が呼べるかである。そう、内容では人が集まらないので、顔で人を集めるというわけだ。その講演会のよしあしは、何人集客できたかだけでしか測れない。内容の良し悪しで判断する人、できる人はいないのだ。 そして、悲しいことに、地方では、TVにでている人でないと人々がホールに足を運ばない。

国の文化政策が良いか悪いかは、さておいて、質の高い一流といわれるものを知る機会を創出し、提供する。これもとても大事なことだ。一流と言われるものを聞いたことがなければ、上を目指すことはできない。これは当たり前のことだ。しかし、誰もが一流になれるものでもない。だからこそ希少価値があるのだ。 では、一流になれなかったものは、排除されねばならないのだろうか。そんなことはない。

クラシックの世界は、特に大変だ。一流といわれる人でさえ、TV出演もままならず、演奏家として生活していけてる人は、驚くほど少ない。ほとんどの人が大学教授や講師を兼任している。たとえば、そこそこ著名なピアニストでは、幼少よりプライベートでそれなりの先生のついて、レッスンし、大学を出、大学院を出、場合によっては、海外留学もして、その教育費たるや相当なものである。そうして、ピアニストになってもギャラは、少なく、アイドルタレントの多分10分の一か、場合によっては、20分の一くらいかもしれない。

たとえば、フジコ・ヘミングを考えてみよう。ある著名なピアニストの先生に言わせれば、とても許せないことなのだそうだ。彼女が出ていることで、「本当に才能のある」若手が出られなくなっているという。また、お金を頂いているのに、舞台で「間違ったから最初からやり直し」というのは、プロに反するという。ご尤ものことであり、これは、確かに正しい。

しかし、一方で「間違えたって良いのよ、人間なんだから。機械じゃないのよ。」という彼女の姿勢に共感を覚える人も多いのだろう。私の友達でかなりの音楽通だが、「完璧な演奏はもうおもしろくない」と言っていた。実際の彼女のコンサートはチケットが高いにも関わらず売れている。本も絵までも。

そこには、別の商業主義というのも絡んでくる。資本主義では、芸術も価値も時間も消費の一部であり、いかに売るかというのは、大事なことで、売れるときに売ってしまえというのが、タレントや旬なものに対する考え方で、売れなくなったら、サーと誰もが引いてしまう。「デボラウインガーを探して」という映画があるが、私も何人か昔一斉を風靡した女優さんと現在仕事上の付き合いがあるが、本当に人に対してそういう扱いでいいのかと思うほど、その落差を感じることがある。それを人は芸能界は厳しいというのかもしれないが、良い時、人気のある時に、異常に神様のように扱い過ぎるようにも思う。

それは、やはり、ブームに飛びつく人が多いという消費者側の問題もある。

先日、銀座の交差点を横断していたときに、年配の有閑マダムッぽい方々が、「私、先日、フジコ・ヘミングウエイ行って来たのよ。あなた、知ってる。ヨカッタワヨー」これは、明らかにヴェブレン的な見せびらかしの消費である。劇場などにもこのような芸術ホッパーが結構いる。こうした状況のどれもが現実であり、どれもが市場や人気や質を支えあっている。どちらか一方だけが価値が高くて、一方はつまらないものという2極分離ではない。ただ、なぜ売れているか。というのを考えることがあってもいい。

バブル崩壊後は、人々が安全な消費へと向かう傾向から、人と同じ志向に走りがちであり、結果としてメガヒットを生み出してきた。芸術や文化の中でも勝ち組と負け組みというようなカテゴリー分けがされてきている。いったん名声を得たり、マスコミをにぎわせると、巨匠となり、大手のプロダクションが資金をふんだんに使って売り込みをかけ、媒体への露出を仕掛けるなど大々的なプロモーションが可能となる。一方、宣伝にお金がかけられない企業や人は、取り残されている。その中には、本当に素晴らしいものを持っている人もいる。また、NHKの大河ドラマをみてもわかるように、NHKと言えども視聴率を気にして、必ず、人気の俳優や大手プロダクションの俳優や歌手を起用する。その中には、確かにへたくそな人もいれば、機会を得ることで努力して、力をつけていく人もいる。

また、一流といわれる人でも人間的にえげつない人もいることも事実だ。昔は、芸術家はみんな心がピュアーだとか、自分なりの主義主張をもっているなどと信じきっていたが、必ずしもそうでもないことも大人になって知った。「売れりゃーなんでも良いよ。」という人も多いし、「評論家が重々しくかってに解釈してくれるんだよ。でもそれで、権威がつくから、何でもいいよ。」という人もいるし、「売れるとか、売ってくれるとかそういうものではない。自分は一生懸命やるだけ。」という人ももちろんいる。そういう人の人気や評価や質がどうかといえば、小説や映画のように必ずしも正義が勝つわけではないのが、現実だ。

一流という人にも、普通の生活をして一流になった人もいれば、普通の生活を全て排除して(あるいは犠牲にして)、体育の授業は全て見学、スポーツもしない、料理もしない、車の運転もしない、電車にも乗らない。修学旅行にも行かない。。。。そうして一流になったいわゆるエリート教育の賜物のような人もいれば、「いつもポケットにショパン」の中のセリフのように「みんなと音楽で分かり合うためには、みんなと同じ生活をすることが大事」という考えもある。どちらが良いとかいう答えはない。

人間性と芸術ー多様な価値との出会い・市民としての自立ー

とにかく、文化や芸術にはお金がかかる。日本では、不況になると真っ先に文化予算が削られる。けれどもそれは、人間が生きていく上での必要経費だと思う。感じたり、感動したり、憤ったり、笑ったり、涙したり、鼓舞されたり、勇気をもらったり、考えたり、そういう経験は、市民となるための良い訓練であり、成長の過程である。国に言われたから、行政に言われたから参加するのでなく、人にいいといわれたから無理にいいと思わなければならないものでもなく、感動するなと言われても感動するものである。

アダム・スミスは、国富論で「公衆娯楽をさかんに行い、しかもそれを愉快にすることである。」とし、慣習としての娯楽をもっていた古代ローマ人のほうが音楽教育を行っていたギリシャ人よりも徳性において優れていたということも述べている。また、労働者が休養の為の娯楽を楽しんで行うことこそが人間性を高め、社会の秩序を向上させ、自立した市民形成のためのものと考えている。これらの考え方は、今日、教育委員会の公民館活動等に受け継がれているものと思われる。これらは、間口を広げる、文化の裾野の拡大を担うものであり、なによりも関心をもってもらう、知ってもらう為には必要な第一ステップである。

しかし、一方で質の高い技術の確かな美に触れることも大事なことだ。時に、作家の心や葛藤がそのまま伝わるものもある。音を聞けば、その人の性格がわかることもある。これぞ至上の芸術と思えるものに出会えることもある。琴線に触れる瞬間がある。

芸術家も文化人も様々で、その環境も情報・メディア・消費・上下関係・権威と政治と様々な要因が複雑に入り組んでいる。だからこそ、多くの場、機会を積極的に活用し、様々な芸術文化にとにかく触れることが大事だと思う。

また、芸術や文化を単に資本主義の自由競争だけに任せていたのでは、私たちは、多様な文化や価値へのアクセスを制限されることになる。フランスの文化政策は明らかに「国が主導的に文化・芸術を守る・創る」という方針で一環している。一方アメリカでは、市民の寄付や企業や富豪の寄付やスポンサーシップなど民間でのサポートに負うところが大きい。それで、そうしたステイクホルダー向けの報告、どれだけ市民やこどもに貢献しているか、どのよう利益、メリットを上げているかという研究が進んでいる。日本は、これまでフランス型に近かったが、ここ数年アメリカ型の導入が研究者の間で盛んに論じられており、採算性が声高に叫ばれているいる。

しかし、多様な価値と少数が支持する利益採算ベースにのらないけれども大事な文化や芸術もあることも見逃してはならないと思う。そういう意味で、民放でできない番組づくりがNHKにはできるはずであり、自治体だからこそ支援できる芸術文化活動もあるはずだ。もちろん、市民の意見も十分にとりいれ、マーケティングも大事であることは言うまでもない。自治体は、これまで市民の顔を見ていなかったという現実がある。しかし、だからといって、今のやり方は、その反動であっても、あまりにも針が極端に採算性に触れすぎている。

これら両方のベクトルをバランスよく舵取ることが、なによりも重要なことでは、ないだろうか。

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2006年6月 4日 (日)

クラシック コンサート2

 ここのところ、コンサートづいている。昨晩は、池袋の芸術劇場大ホールで、東京ニューシティー管弦楽団の第46回定期演奏会を聞きに行った。“モーツァルト、その青春の愛と旅立ち”と題され、オープニングは、「旧」交響曲第37番ト長調K444で始まり、「新」交響曲第37番ニ長調K320で終わるという凝った構成であった。ピアノ協奏曲第20番では、ピアノの小林亜矢乃が思ったよりも素晴らしかった。他にソプラノの臼木あいも出演した。

 このような若い演奏家が舞台経験を踏める場を多く作り出し、応援することはとても大事なことだと思う。

 とかく芸術の世界では、権威が横行し、「ホンモノ」志向が強く、評論家や専門家、通ぶった人々が、辛口の批評や薀蓄を語りたがる。特にクラシック音楽の世界は、小さなパイの中で、権威とプライドが交錯し、敷居の高いものとなっている。

しかし、「ホンモノ」とは何なのだろうか。

 カナダのバンクーバーに滞在した時、毎週日曜に美術館の前庭で市民オーケストラが演奏をしていた。彼ら自身も音楽を楽しんでおり、町行く人々も足を止め、心地よい緑と風の中、ゆったりと音楽を楽しんでいた光景が印象的に心に残っている。

 かれらの音楽は著名な交響楽団のそれとは違い、音楽の精度や技術は劣るだろうが、確かに楽しめたし、素晴らしかった。

 聞いたり見たり、経験する回数が増えれば、おのずと感性は磨かれる。確かに技術の高い「ホンモノ」といわれるものを経験することは大事なことだと思うが、権威だけがすべてではない。

 自分の感性を磨き、自分で感じることが大事だと思う。評判や賞などは、大して重要ではない。

 西洋画家の盗作問題が話題になっている。このことにはいろいろな問題が見え隠れするが、賞や肩書きで人や作品を評価するのは馬鹿げていると思う。多少の指標にはなっても、それが全てではない。しかし、なぜ、賞を欲しがるのだろう。確かに賞をとれば、待遇や価格が変わり、得をするのだろう。それは、賞をとれば、即「すごい」と思って、おしいいただいてしまう人々がいるからだ。権威に弱い人が多いからだろう。

 衆議院議員の秘書をしていた時には、議員の事務所に多くの人や団体が商品の○○大臣賞や勲章などを欲しくて、頼みに来ていた。全てがそうとは言わないが、そういうケースが多いのは事実だろう。そんなことを思えば、看板や賞や肩書きや評判に我々は惑わされるべきではない。上手なものも最高ものも素晴らしいが、あまり上手でないかもしれないが心豊かに感じられるものもある。それは、誰が決めるのでもなく、自分の感性や心が感じ、決めることなのだ。自分の気持ちに正直に芸術を評価する訓練を積むことが大切だと思う。特に日本では、そういう教育をしてきていないから、それは、自分で心がけるしかない。

ピッコロ・バイオリン

Pikkoro 今日は、懇意にしている大学の先生が主催するグレゴリー・セドゥフさんのピッコロ・バイオリン演奏会に行ってきた。

ピッコロ・バイオリンは、ニューヨーク在住の著名なバイオリン製作者カーリン・ハッチンさん(現在94歳)が30年をかけて8台を製作し、1996年に誕生した。現在そのうちの7台は、アメリカの博物館に展示されており、実際に使用させているのは、これのみであり、演奏活動をしているのもセドゥフ氏だけとのこと。弦は、0.7mmのsuper sensitiveという特注のもので通常のバイオリンの1オクターブ高い繊細でソプラノの声のような優美な音を奏でる。今も毎年ハッチンさんから弦が送られてくるとのこと。

セドゥフ氏は、サンクト・ペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団の第一バイオリン奏者であり、サンクト・ペテルブルグ国立音楽院室内楽科で後進の指導に力を注いでいる。

今夜の曲目はというと、、、最初のフェルドマンの“ヘブライ人のメロディー”も良かったが、タイスの瞑想曲、チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ、ワルツも素晴らしかった。選曲もチャーミングでドラマチックなものが多く、ピッコロ・バイオリンの可愛らしくも繊細で精緻な音楽を堪能した。久しぶりに弦の余韻に酔いしれた夜だった。

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